あなたが寝てる間に 20
「花沢さん、まだ残業?」
課長に声をかけられた時、この課で残ってるのは俺だけ、フロアにも数人しか居なかった。
「あと、少しです」
「最近ずっと遅いから、程々に。難しければ…」
「いや、大丈夫です、本当に」
ただ帰りたくなくて、ダラダラしているところがあるのは否めない。
管理職としては困るよな、ましてや社長の息子の俺だし。
そこでデスクについた課長の左手が目に入る。当然のように薬指に填まる指輪。普段家庭の話はしないけれど、結婚してて小さな子供もいたはず。
残業がちになる課長が多い中、そつなく仕事をこなして、帰宅も早く、愛妻家らしいと聞いたことがある。
「お子さん、小さいんですよね」
「あぁ、カタコトで話すくらいかな」
「子供って……どうですか?」
「どうって?」
「家庭を持って子供もいてって、俺には想像つかなくて」
唯一の既婚者の静はフランスで話もしないし、身近な奴は皆未婚、というかまだまだ結婚なんてって奴ばかりだ。
家庭という意味では俺の家はバラバラで、普通とはほど遠いから、子供だった時の自分の記憶もあてにはならない。いわゆる家庭っていうのが分からない。
課長のような家庭が、一般的で、牧野の言う『普通』なんだろう。
「ウチは女の子だけど、かわいいよ、手放しで。ヨタヨタして、いたいけってか…妻にそっくりでさ、まあ、惚れた女のミニチュアみたいで」
「子供って、大変そうじゃないですか?当たり前ですけど、言葉通じないし、人間より動物って感じで」
そう問いかけたところで、ふと考える。牧野にそっくり、か……そもそもあいつが変な動物みたいなんだよな。食いしん坊だし、食べてる時はニコニコして、口をモグモグさせてさ。あのミニチュア……可愛いかもな。
熊みたいな着ぐるみを着た牧野と、同じ格好したミニチュア版が、並んで口をモグモグさせてるところを考えると、つい笑えてくる。
「花沢さん、結婚でも考えてるの?」
「いや……」
反射的に否定してしまったのは、社内ではそういうことにしておかないと面倒だからだ。
寄ってくる女には辟易してて、結婚考えてるなんて言ったら、更に寄ってくる女も娘をと言ってくる上司も、激しさを増すだろう。
「当然だけど、花沢さんモテるだろ?だけど誰にもなびかないし、つきあってる人がいるのかなって思ってたから」
「まあ、そんな感じですかね」
俺の一方通行だけど、と心中でつぶやく。そんな考えに今度は自嘲の笑いを落とす。
俺を心から笑わせるのも、情けなく自嘲させるのも牧野しかいない。
「大変だけど、可愛いよ、子供も。家に帰ると二人で転げるように迎えに出てきて、お帰りって言われるとさ」
そこでまた考えるのは、着ぐるみ牧野と着ぐるみミニチュア。玄関に並んで、ニコニコ迎えてくれたら……うん、いいかもしれない。
きっかけはともかく、やっぱり牧野がいい。それに牧野のミニチュアも。
「じゃあ、俺帰るけど、花沢さんは?」
「もうすぐ帰ります」
「あぁ、お先に」
背を向けた課長からデスクへと視線を戻し、書類を閉じた。
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